はじめに

事業方針の変化に伴い、日本企業が海外における非中核事業や子会社(以下「対象事業」)の売却を検討することが近年増えています。対象事業の売却決定後も、売り手の経営陣(以下「売主」)は、売却が他の既存事業や将来の事業に与える影響について検討する必要があります。経営陣及び顧問弁護士は上記を含む事業売却に伴う法的論点について予め検討しておき、売却時に適切に対応できるようにしておくことが重要です。

重要問題、リスクの特定

対象事業の売却において最も重要なことの一つは、売却交渉開始前に十分な準備をしておくことです。売主は、交渉に入る前に対象事業の重要な法的問題を把握し、対処プロセスを管理することにより、発見された問題に対して事前に解決策を検討するか、買主が取引の一部として引き受けなければならないリスクかを判断しなければなりません。一般的には以下のような問題が想定できます。

  • 重大な紛争:リスクをすべて把握できているか、潜在的損失が生じる可能性はどの程度か、売却前に解決可能か、買主が紛争解決手続を引き継ぐ必要があるか。
  • 主要な債務やその他クレジット・サポートの取り決め:他の資産や事業と相互担保されているか、売主やそのグループ会社が保証しているか、クロージング前に売主が完済する必要があるか、買主が代わりに弁済する必要があるか。
  • 既存の業務提携、戦略的提携等:売主のほかの事業にとって重要な提携であり、維持すべきものか、対象事業とともに移行すべきものか。
  • 既存の譲渡制限や競業避止義務などの不作為を義務付ける誓約事項の有無。
  • 過去に紛争やクレームが発生した特定の第三者との契約、及び重大な売掛金の遅延:これらは売却前に解決可能か、もしくは取引に織り込んでいくのか。
  • 対象事業の概要または潜在的な取引構造に基づく重要な税務上の問題点の有無。
  • 支払債務、保証債務、保証書などの長期債務:これらは対象事業の債務として扱い、購入価格が減額されるのか。
  • 上記のいずれかに関連する補償義務:売主は買主にこれらのすべてを引き継がせることを希望するが、リスクを計算し、売主として負担することを受け入れるか否か判断する必要がある。
  • 潜在的なESGリスク、特にプライベート・エクイティー・ファンドの買主や、規制がある国・地域の買主にとってますます問題となっています(後述)。

知的財産権

ほとんどの場合、対象事業とグループ会社の間、又は第三者との間に知的財産ポートフォリオに関する何らかのライセンス契約やその他の知的財産の契約等が存在します。対象事業の知的財産がグループ会社のどこで使用されているか、または使用される予定があるか(対象事業が使用するほかのグループ会社の知的財産についても同様)、また知的財産権が第三者に付与されている場合、売主が、対象事業者において保持すべきすべての権利と買主が知的財産の独占的な使用権を希望した際の問題点を売主は把握しておく必要があります。一般的には、グループ会社が、ライセンスやサブライセンスの範囲や条件について理解しておくことが重要です。このような検討事項を最初に明確に契約に織り込み、知的財産の構造を前もって両当事者ともに把握しておけば、取引成立後に大きな問題が発生することを避けることができます。

企業間の取り決め

日本の大企業を想定する場合、売主のグループ会社が、対象事業を支援するための販売、サービス、及び物流機能等を担っていることが一般的です。買主はこれらの機能や人材を切り分け、対象事業を継続的に支援することを確保するために売却対象資産に含める場合があります。売却プロセスを開始する前に、グループ会社が対象事業に関連して果たす役割を明確にし、何が不可欠で、売手が何を手放してもよいか、検討することが重要です。一般的な企業間の取り決めとして、以下のようなものがあげられます。

  • 対象事業における知的財産や在庫など、グループ会社の保有する資産がある場合、それらが売却可能か、ライセンスや使用権などの取り決めが必要なものかを検討する。
  • 対象事業や買主に譲渡する必要のある契約で、グループ会社に属するもの(親会社の保証、下請け契約、設備供給や製造契約などの二次契約など)
  • グループ会社に在籍し、企業間の取り決めや通常の業務を通じて対象事業を支援する人員(後述)

企業間の関係性によっては、新たにTSA契約 (Transition Services Agreement)を締結することで対処することも可能ですが、既存の企業間取引が独立企業間取引であり、当事者が継続を希望する(またはクロージング後も同様の契約内容を継続するように契約する)場合もあります。また、対象事業の売却を完了後、これまで売主やグループ会社が依存していた、対象事業の重要な人材やリソースが今後必要になった際の対応を検討することが極めて重要です。

グループ会社の従業員

売主が対象事業の重要な役割を担う人材をグループ会社から出向させている場合、当該人材をグループ会社に戻すか、クロージング後も対象事業に残すか、請負業者やTSA契約により対象事業に一定期間残すかなどを決定する必要があります。特に事業を支援する目的で雇用された人材または事業グループは異動が必要となる場合があります。このような出向者については、できれば売買契約の締結前に、出向者とそのグループ会社との間で具体的な交渉をしておくことが望ましいです。その際、対象事業の所在地、所属や関係する従業員の数にかかわらず、すべての従業員について該当する地域の労働法上の規制を把握しておく必要があります。

事業の重複

売主または他のグループ会社が対象事業と重複して事業を行っているか否かも検討する必要があります。これは買主が要求する競業避止義務の内容や、売主が他の事業にサービスを提供し維持することが許容されるかなど、取引構造及び取引条件に影響を与えます。対象事業の売却後、対象事業は売主の支配下でも、グループ会社でもなくなります。従って、買主が買収する事業に対する確実性を求めることと同様に、売主もクロージング後のリスクに対処し、コントロールするために必要な措置を講じる必要があります。

SDGsの推進

本記事において売主が考慮すべき最後の注意点は、海外の買主、特にプライベート・エクイティー・ファンドをターゲットとする買主や、ヨーロッパに所在する買主に対して、事業やそのサプライチェーンに関連する人権や環境への実際の悪影響や潜在的な悪影響を特定するための措置を買主がとる義務を含む、人権と環境デューデリジェンス(Human Rights and Environmental Due Diligence、以下「HREDD」)に関連するSDGリスクへの規制案が増加していることです。ドイツやオランダなどの国々ではすでにこれらを実施しており、欧州委員会はその加盟国に対して発令することを提案しています。1そのため、売主は対象事業またはそのサプライチェーンにおいて、HREDD及びサプライチェーン管理に関連する潜在的な危険信号(レッドフラッグ)の有無を把握する必要があります。

終わりに

独立した対象事業の売却は、容易と思われがちなプロセスですが、上述の通り、対象事業と売主及びそのグループ企業との間にはしばしば多くの相互関係が存在するため、事前にそれらを把握し、対処することが必要です。対象事業の法的論点を早期に把握することで、リスク管理及び潜在的な問題に対する解決策を見出すことができます。交渉開始前に、緻密かつ柔軟な計画を持つことは、取引に関するリスクを最小限に抑えつつ、売却価値を最大化することに繋がります。


1 https://www.eyeonesg.com/2022/02/human-rights-and-the-environment-eu-publishes-draft-corporate-sustainability-due-diligence-directive/